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「ビデオ・ランデブー:映像の現在」で考えたこと その2 〜 キュレーションとは何だ?

2008年01月29日 | 関西/大阪アートシーン | del.icio.usに追加 | はてなブックマークに追加 | livedoorクリップに追加

前回に引き続き、先日大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で開催されていた展覧会「ビデオ・ランデブー:映像の現在」に関して自分なりのまとめ。

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ビデオ・ランデブー:映像の現在

日時:1/10 (木) - 20 (日)
   11:00 - 19:00 *入館は18:30まで/会期中無休 
場所:大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室
入場:無料

出展作家・ トーカー:谷川俊太郎/Johan Grimonprez/Charlotte Leouzon/イルコモンズ/豊嶋康子/亀井文夫/Liselotte Wajstedt/Dee Dee Halleck/エリザベス・コールと小沢健二/岩淵拓郎/中村友紀/粉川哲夫/Pascal Beausse

お問い合わせ:大阪市立近代美術館建設準備室
TEL: 06-6615-0654(土日祝を除く9:00-17:30)/FAX 06-6615-0699

今回出展した作品が自分的のどういう位置づけだったのかについては前回述べた通りですが、今回の展覧会に限って言うと、それとは少し違う視点から作品を受け取った人も多かったように思います。それはつまりこの展覧会自体が企画としてかなり強い色を持ったもので、それどころかいわゆる“美術”という文脈にすんなりとのせることすら難しい内容だったということにあります。この点に関しては、実際にご覧になれなかった方も、出展作家の名前を見ていただければなんとなく想像していただけるでしょう。

アナーキストやアクティビストの紹介を大阪市主催の事業として見るという皮肉
転載元:Twitter / Yutaka Niwa

具体的なエピソードとして、今回の出展作品のひとつである「end credits of the world (2008)」に対して、社会的な視点からの意見をいくつかいただきました。この作品は国名と国歌が全編に流れるという内容で、むしろそういう受け取られ方が当然なわけですが、しかし不思議とこれまではそういう意見を聞くことはほとんどなかった。たぶん「記号としての等価性」みたいないかにも現代美術っぽい理解をされてきたんだと思うんですが、それが今回に限ってはそうじゃなかったわけです。また、それ以外の作品に関しても、自分が意図した以上に美術的なシニカルさをもって理解されたり、けっこう予想外の反応がいくつかありました。

で、ここで立ち上がってくる当然しっておくべき2つの事実。

・いわゆる美術の展覧会では見る側にも
 見せる側にも美術的な力学が強くはたらいている。
・その力学をずらすこと展覧会はいろんな意味でおかしなものになる。

つまりキュレーションってことなんだと思います。実は僕自身、それほど積極的にグループ展に参加してきた方でもなく、そういう意味で「なんだかんだ言っても作品ありき」みたいなところがあったんですが、この場でその考え改めさせてもらいます、ごめんなさい。作品の見え方なんて展覧会の作り方次第でどうとでも変わってしまう、とか言うとまた言い過ぎかもしれませんが……。

キュレーションを意識すれば
展覧会は俄然メディアになる。

で、この件で思い出したのが「ビデオ・ランデブー」を企画した同じくNPO remoのイベント、その名も「キュレーションのハードコア 2 大阪会議」。

キュレーションのハードコア 2 大阪会議
「美術、アート、視覚表現、映像資料・・・」


開催日時: 2008年1月22日(火) 18:00-21:30
開催場所: remo/東淀川体育館1F 参加費:500円

トーカー:
□基調講演「ハラルド・ゼーマンのキュレーションにおける方法論」:徳山 由香
□「パブリックなアートの実践」Breaker Project(大阪):雨森 信
□「社会的な実験プロジェクト Shin-bi」京都精華大学(京都):田村 武
□「大阪アーツアポリアと Community-Collaborative Art」(大阪):中西 美穂
□「AHA! 人類の営みのためのアーカイブ」remo(大阪):松本 篤
□「都市の文化状況に積極的にコミット」する活動 rhythm+etc.(福岡+anywhere):遠藤 水城

ふーん、なるほどなぁ。そういう伏線もあったわけかぁ。ま、少なくともこういうおもしろいことを考える人たちがいて、実際にそういう動きがある以上、まだまだ美術も大阪も捨てたもんじゃないと思えるわけです。

美術手帖 2007年 12月号 [雑誌]
B000Y3BCZA

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