2005年09月16日

深夜族の夜

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9月15日、ちょうど日付がかわるころに電車乗り込んでCAP HOUSEへ向かう。今は電車の中で芦屋あたり。夜中中アクリル削って6時くらいに家帰ろうかな。

さながら「発光!深夜族」。でなきゃ「太陽は僕の敵」。

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2005年07月07日

「スーパーサイズ・ミー」

2004  アメリカ
監督:モーガン・スパーロック
配給:クロックワークス、ファントム・フィルム
オススメ度:★★★★


「華氏911」でも思ったことだが、アメリカという国で生きる人々はどうやって民主的希望を持ちうるのだろうか。意識することすら難しいほどにすでにそこにある強大な商業主義と、そのことによってしか動かされることのない政治力。逆説的だが毎日ハンバーガーでも食ってなきゃやっていけないのかもしれない。

ドキュメンタリーとしても、エンターテイメントとしても、そこそこバランスの良い映画である。全体の構成がしっかりとしていて、ひとつのストーリーとして純粋に楽しめる。監督のモーガン・スパーロックは心身ともにそれほど「色」を感じさせない人物で、マイケル・ムーアのように個性でストーリーをひっぱっていくタイプではない。しかしだからこそある種のプロパガンダ性からちょうどいい距離が保たれているように感じられるし、結果的に私たちは作品そのものではなくそこで扱われるテーマについて考える気になるのだ。

この映画で扱われるマクドナルドはアメリカ的商業主義を語る上での象徴であり素材でしかない。結局のところアメリカ人はこの映画の中で暴かれたような極めて戦略的で無意識的な影響下の中で暮らしているということである。もはや誰もが知っていることだと思うし、それに対する有効な解決策などなかいのかもしれないのだが、やはり事実を突きつけられたことのショックは大きい。それもその事実が「肥満」「肝機能障害」「躁鬱」などという非常に身近な内容であるというのも説得力がある。ただ冒頭で触れたように、これを知ったところで果たして彼らには何らかの打つべき手が見つかるだろうか? むしろ一事が万事その調子であると状況を悲観したとき、「もういいや」と全ての問題を投げ出してマクドナルドに向かう可能性の方が大きくはないだろうか? アメリカ人のようでアメリカ人でない日本人の私はそんなふうに思うのである。

「とにかく知ってもらうことが大切」 以前、劣化ウラン弾をテーマとしたドキュメンタリー映画「ヒバクシャ」の監督・鎌仲ひとみ氏もそんなふうに言っていた。もちろんそのことは重要であるし、全てはそこからしかスタートしえない。しかしそこが問題解決の到達点ではないことも事実だろう。だとすればそこがドキュメンタリー映画、もしくは表現の限界なのか。そこから先に進むためには小林よしのりやムーアのように直接行動をおこす以外に手はないのか。だとすれば表現とはそもそも実効性を伴わないものなのか。それこそ投げ出すようなモノ言いでもうしわけないが、私にはあまりに問題が大きすぎてまだ分からない。それでも知ったのだから考えることは続けていこう。

ちなみにこの批評を書く前日に、最初の問いに対する具体的な解答が知人からあったので記しておこう。「大丈夫。西海岸と東海岸に住む一部のアメリカ人以外はみんな牛みたいなもんだよ」 あー、けっきょくそこかよー!!!

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「大(Oh!)水木しげる展」

会 期:8月4日(水)〜8月16日(月)
会 場:大丸ミュージアム 神戸
入場料:一般800円 大高生600円 中学生以下無料
オススメ度:★★★


荒俣宏と京極夏彦の共同プロデュース。水木しげるのこれまでの生涯を時間を追って追体験していくような内容。美術展というよりは回顧展(?)といった印象。各所に鏤められていた水木氏独特の語り口が、浮世離れした世界へ誘う。

時間が無くて残念ながら流し見だったのだが、単に漫画家・水木しげるに対してだけでなく、昭和30年代の紙芝居や貸し本システムが知れるという点においても面白い。あいかわらず原画展示という形態に関しては物足りなさは感じるが、商業展覧の企画としては十分の質と量。

機会があれば境港の記念館にも足をのばしたい。

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「栄光のオランダ・フランドル絵画展」

会 期:2004年7月17日(土)〜10月11日(月・祝)
会 場:神戸市立博物館
オススメ度:★★


あくまでもメインは「画家のアトリエ」である。このところのフェルメールブームにあやかった企画であるのは足を運ばずとも明らかである。しかしいざすべてがそこに向かうような展覧会の流れに身を投じてみると、逆に最後に肩すかしを食らうかもしれない。もちろんフェルメールがどうのこうのという話ではなく、それはむしろ絵画というメディアの取り上げ方の問題である。今どき「月の石」でもあるまいし、たかか数号の小さな絵に多くの人が殺到するのは、それ自体滑稽なことだ。そのことに気づくという意味において、同展覧は面白くなくはない。

個人的に興味を引いたのは、現在のわれわれの視点からして明らかに「おかしい」もしくは「上手くない」作品が多く出展されていたという点である。企画の内容的に、例えば遠近法の発見をまたぐようなかたちであったということもあるだろうが、それを差し引いても「おかしい」もしくは「上手くない」と感じられる作品が多かった。それらは大抵の場合、聞いたこともない作者もしくは明確な作者がわからないようなものであったが、それに比べてやはりファン・ダイクやルーベンスなどの有名な作家の作品は技術的にも表現的にも異なる次元にあるように感じられた。もちろん作家の知名度で評価するわけではないが、やはり名画と呼ばれるものは馬鹿にはできない。

ヤン・ファン・ダーレンの「バッカス」は違う意味でおかしかった。あれはただの酔っぱらいである。

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「デイ・アフター・トゥモロー」

2004  アメリカ
製作・監督・脚本:ローランド・エメリッヒ
出演:デニス・クエイド、ジェイク・ギレンホール、イアン・ホルム、エミー・ロッサム
オススメ度:★★


「インデペンデンス・デイ」のローランド・エメリッヒ監督による、異常気象パニック大作。背景はド派手だが、内容的には単なる親子モノ。設定などもずいぶんいい加減で、そのあたりが気をしだすとまるで楽しめない。むしろ映像だけで乗り切るのが○で、特にNYが津波に襲われるシーン等はCGだと分っていてもなかなかショック。妙に思わせぶりなエンディングは少し意味が分からなかった。

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「ハウルの動く城」

2004  日本
原作:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
監督:宮崎駿
出演:倍賞千恵子、木村拓哉、美輪明宏 ほか
オススメ度:★


PIXERの「Mr.インクレディブル」と迷いに迷ったあげく見に行ったがもう完全に大誤算。基本のストーリーテーリングの部分が無茶苦茶で、娯楽作品としてまったく成立していない。なんだかんだ言ってもそれなりに楽しめるミヤザキ作品の中にあって完全な駄作。さらに宣伝力の強さで押し通そうとしているのがミエミエで、この点では「CASSHERN」と大差なし。金がかかっている分まったくタチが悪い。

とにかくストーリーがまるで掴めない。もしかすると原作を読んでいればそれなりに理解できるのかもしれない。もちろんそういう映画があっても悪くはないと思うが、娯楽作品としての売り方をするのであれば物語を分かりやすくすることは最低限の義務であるように思われる。なにせ子供たちなけなしの小遣いを払って見るのである。そのあたりの誠意がまるで欠けている。どうした、ミヤザキ?

またキャラクターの設定が弱いのが気になる。主人公であるソフィーもハウルも最後の最後までいまいちキャラが定まらない。ハウルの弟子・マルクルや火の悪魔・カルシファーも重要な立ち位置にもいながらいったい何者であるのかがはっきりしない。美輪明宏演ずる荒野の魔女もさすがにもう飽たというのが印象。あ、ちなみにハウル役の木村拓哉は思ったよりもずいぶんマシで、ギリギリ合格点といったところ。

ただし評価できる点もある。たとえば映像表現の部分では、単に金をかけたということではなく、あらたな試みがいい形で実現されている多かった。ほとんど数種類のパターンを忠実に受け継ぐ日本アニメーションにおいて、トップでいながらなおも新しい表現に挑戦しようという同氏の心意気は十分に感じられた。

ただそういった部分を考慮しても、作品として決して評価できるシロモノではない。ネット上で見た感じでも一般評価もかなり厳しいようである。しかしその反面で大絶賛する連中も決して少なくない。はぁ?  いったいどこをどう見ればそんな評価がだせるというのだろう。 既存の宮崎ファンなのか? それとも単に節穴なのか? いずれにしても作品そのものを冷静に判断できる「良き消費者」であってほしいものである。

ちなみに帰りに電車の中で、偶然にもハウル帰りの女子中学生2人組に遭遇。1人が重い口を開き「言いにくいけど、やっぱり今回はちょっとイマイチやったわぁ」と告げた。えらい!

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2005年06月29日

映画「電車男」を観た

映画「電車男」を観てきました。それもなぜか映画館でw

densha otoko

・電車男(公式ページ)
http://www.nifty.com/denshaotoko/

言わずと知れた、2ちゃんねる発・美女とヲタクの純情初恋物語。タイミングを逃すまいと撮り急いだ感はあるものの、思ったよりはずいぶんマシなのは、山田孝之の滑稽ながらも切迫した演技のせいか? 中谷美紀はあいかわらずきれいなお姉さんで、もちろん美化されているとはいえ、エルメスに対する想像をいい意味で掻き立てる。

内容的にはオリジナルを忠実に再現しようとしたためいくらか無駄なシーンが目立つ。ヲタク3人組の戦闘シーンなどはもうすこし熟考すべきだったかもしれない。とはいえ、ネットの上でテキストを中心に繰り広げた世界をこれまで無理なく映像化した点(特に絵文字のあつかいがなかなか面白い)は十分に評価できる。ネットという部分の親近感で若干ひいき目で見れば十分に楽しめる。

電車男

2005 日本
監督:村上正典
出演:山田孝之、中谷美紀、国仲涼子、佐々木蔵之介 ほか
オススメ度:★★★

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2004年12月29日

「ターミナル」

2004  アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:トム・ハンクス ほか
オススメ度:★★★


本当に「可もなく、不可もなく」。取り立てつまらないわけでもないが、取り立てて面白いわけでもない。設定の面白さを除けばストーリーにそれほど魅力があるわけでもなく、かといって全くないわけでもない。なんとなく見始めて、1時間半後になんとなく終わる。そんな印象。よって残念ながらそれほど書くこともない。

ただひとつ興味深かった点は、この作品の持つ映画特有のスケース感だ。あまり考えたことがなかったが、映画のスクリーンと空港のターミナルは共に人の身の丈に対して心地よくデカいという点において相性が良いようだ。観賞後になんとなく本当に空港にいたような感覚にはなる。このあたりがスピルバーグ品質なのかもしれない。

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2004年10月13日

スーツ

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10月13日。2ヶ月ぶりにスーツを着た。

もちろん就職なんてしてない。ギャラのいいバイトみたいなもんだ。そして朝8時の満員電車に乗る。辛気くさい、それでいて妙に誇らしげな連中に混じっていると、なんだか自分がふたまわりほど小さく思える。iPodのボリュームを音もれするギリギリまで上げてBeastieを聞いた。

ぱっきゅー! そんな自分が大好きだったりするんかもね。

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2004年10月11日

デッサン力

10月11日。本日の予定は、大谷記念美術館「福田平八郎」展。

久しぶりに歩いて駅までおりる。途中、変なヤシの木のオモチャや、20年以上前のサラ金のはり紙を発見。

阪急芦屋から阪神芦屋まで歩いて、何年かぶりに洋食屋「胡椒亭」へ。ちょっと奮発してビフカツランチ(1,400円)を注文。ミディアムレアの牛肉に柔らかめの衣がついて、そこにワインのつよいデミグラス。ああ、こんなのこんなの。でも店主の態度が威圧感満点でじつはけっこうウザかった。たぶんもう行かないかも。

福田平八郎は1892年生まれの日本画家。京都市立美術工芸学校(現在の京都芸大)業で、近代日本画における稀有の色彩画家として有名だそうです。で、実際の感想としては、やっぱり何にしてもデッサン力はいるなぁと。「意味の認知」とは切り離したところで「カタチを認知」する。作品自体の好みでいうとそんなに特別ではなかったけれど、こういう言葉が出てきたことだけでも悪くない。

夜はC.A.P.で10年目冊子のゲラ校正とスキャン作業。晩ご飯は江見洋一作のミートソースによるスパゲティー。閉館後に「10 parties」の打ち合わせ。もうみんな分け分かんない案しか出さないから、思わず直球でさっくり決めてやりました。カカカカ。

何となく残って日記書こうとおもったらそのまま管理人室の裏で寝ちゃいました。


PS
え、mixi日記って日付かえれないの?

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2004年10月09日

レンタラッシュ

10月9日。

TSUTAYAトアロード店で半額キャンペーン開催中。ということで本日のレンタラッシュ。

・Everything but the girl "HOME MOVIES"
・Buggles "The Age of Plastic"
・Beastie Boys "The Sound of Science"
・Beach Boys "Pet Sound"
・小泉今日子 "KYON3"

ただいまiTunesに取り込み中。

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2004年10月08日

mixiで日記

10月8日。mixiで初日記です。

自分で批評じみたBLOGをやってて思うことは、やっぱりそこらへんの日記よりは情報価値のあることやらなきゃってこと。いちおう文章書くのも仕事なんでそのあたりでは手が抜けないし、情報価値がないとやる気も起きない。

でも、そればっかじゃちょっとつかれちゃう感じもあります。

ってことで日記はミクシィでやることにしました。日々雑感などなど。そういうことは知り合いにこそ読ますのが筋だと思うんで。携帯からも更新できるってことなんで早速試してみようかな?

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2004年10月07日

筆者について

岩淵拓郎(いわぶちたくろう)

美術家/執筆・編集者/メディアピクニック代表
http://www.mediapicnic.com/

73年兵庫県生まれ。96年より主に具体音を使ったサウンドパフォーマンスを開始。関西を拠点として定期的な作品発表をおこないながら、同時に他作家とのコラボレーションやアソシエーションの活動などに参加。01年3月に渡仏、1年間の滞在を経て翌年3月に帰国。以降、主に文字を使ったビデオやインスタレーションなどの作品を制作・発表する。また98年にオフィス「メディアピクニック」を設立、雑誌や新聞での執筆、編集、各種コンテンツプランニングなどメディアにまつわる業務を行う。04年〜、大阪南森町で住居用マンションを使ったクリエイティヴワークスペース「208」主催。京都造形芸術大学通信教育学部建築デザインコース非常勤講師。

【個展】
2001 「意味と彼女」(神戸)
2002 「言葉がそこにあると言うことは」(神戸)
2004 「灘駅で本を読む日。」(神戸)
2005 「STORE」(大阪)

【主なグループ展】
1998 神戸 アートビレッジセンター「Resonant Box」
2000 ロンドン Selfridge ほか「東京ラビットパラダイス」
2000 マルセイユ Garelly-521「Trouve - Re:Trove」
2003  大阪 SUMISO「のんぽり大阪・」
2005 神戸 CAP HOUSE「CAP NEW WORKS 2005」
2005 神戸 CAP HOUSE「Welcome to CAP HOUSE 2005 〜回覧展」
2006 大阪 築港赤レンガ倉庫「 気配をけして piano, piano」
2006 神戸 CAP HOUSE「 CAP Art Fair 2006」


【主な執筆媒体】
月刊アスキー(アスキー)
月刊マックパワー(アスキー)
月刊ワーアード日本語版(DDPデジタルパブリッシング)
神戸新聞(神戸新聞社)

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2004年10月06日

アトリエ・ワン「街の使い方」展 - 小さな家の設計から大きな年の観察まで

2004年10月2日(土)〜12月5日(日)
キリンプラザ大阪
キューレーター 五十嵐太郎(建築史・建築批評家)
入場料 700円
オススメ度:★★★


アトリエ・ワンの塚本由晴氏は、以前IMI主催で美術家の中村政人との対談で一度だけ話を聞いた。まるで建築家と思えないまるで大学生のような風貌と、飄々とした口調ながら鋭い指摘をする様子がとても印象的。目的も方法も違うが、美術という枠組みがこれまでにもまして知的に解体されようとしていている昨今において、彼らから学ぶべき物はおおいように思われた。

意外な事にアトリエ・ワンにとって今回は初の個展。内容は同ユニットの設計した狭小住宅「ミニ・ハウス」をカヤで1/1再現、その中で書籍や映像などの資料が展示されるというもの。空間性の体験という意味では面白いが、やはり見せ方としてはいささかものたりない。まぁ、展覧会というスタイル自体、建築の文脈から外れたもなのだから仕方ない。それでも彼らの仕事、というよりユニークな視点そのものの全風景を眺めるにはいい機会だった。

活動の部分で面白いと思ったのは、彼らの活動の中心がリサーチにあるということ。これは塚本氏が研究者であるという立場を考えると当然のなのかもしれないが、それ自体がひとつの作品として成立しているのは興味深い。もちろん彼らの仕事の本質は建築設計なのだが、もはやそれすらもプレゼンテーションの一部でしかないと感じてしまうほど、彼らの存在にはブレーンとしての意味合いが強い用に感じられる。

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2004年09月24日

トヨダヒトシ「スライドショー/映像日記」

2004年9月23日(祝)〜26日(日)
[NA.ZUNA part 1]・[NA.ZUNA part 2]・[The Wind's Path]
CAP HOUSE 神戸(神戸)
1,000円(1ドリンク付)
オススメ度:★★


スライドショーにデフォルトでBGMがつくようになったのは、もしかするとAppleの残した悪しき習慣かもしれない。時間軸に写真を並べてそれを投影する、それだけで写真はひとつの流れの中で新しいストーリーを語りだす。別に特別なことでも何でもないのだけれど、そういうことを当たり前をするのが実は一番難しい。この点においてこの作家は極めて潔い。ただしその潔さが作品を作品として成立させるべく正しい方向に導いているかどうかは微妙なところである。

誤解も含めてテーマは「旅」である。すくなくとも私にはそのように思えた。見知らぬ土地で見知らぬ人々とふれあうことで目覚める視線があることは、すでに誰でも知っていることである。それをいまさら作品として見せる、もしくは見せられるということに対しての疑問は多い。それにつけて昨今の写真ブームの後に、それでもなお作品化が可能な写真とはいかなるものか。写真という表現形態が本質的にメディアとの関わりを逃れられないとするならば、それについては潔いトヨダ氏に答えてほしかった問題である。あとプロジェクションという手法についてももう少し説得力が欲しかった。作者説明では「そこに有るのに触れる事が出来ない距離感」とのことだったが、個人的には納得するにはいたらなかった。

ただ、そういったことを考慮しても、スライドショーをひとつの表現形態として突き通そうとするトヨダ氏の潔さについては今後の期待もこめて評価したい。

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