展覧会にあたり

文章は最初からただそこにあるものではありません。小説であれ、手紙であれ、論文であれ、全ての文章は誰かの手によって記されます。そしてそのほとんどには記すべき何らかの目的や理由が存在します。
記すという行為は、すなわち何かを記録をするということであると言えます。もちろんその方法論や形式は場合によって様々ですがが、そうして生まれた文章がどこまで真実を正確に記録しているかは、文章と記述者の主観の関係において、はなはだ疑わしいものです。というよりも、もし仮に確固たる真実が存在するとすれば、その真実の全てが文章に記録されることはあり得ないはずです。これは文章がそもそも言語化しうる情報のみを正確に記録するための手段であることを考えれば当然のことだと言えるでしょう。つまり文章は記述者の主観によって切り取られた真実の片鱗に過ぎません。これらの指摘は今日においてすでに暗黙の了解であり、むしろ文章に対するわれわれの興味は真実そのものから記述者の主観へと移行しつつあるように思われます。
今回の個展は、真実が記述者の主観を通して変化しながら文章化さ れるプロセスをひとつの作品として提示する試みです。記録の対象 となるのは近藤みのり(20)という人物。会場にはその彼女が存 在することを示す「言葉」と、それとは全く別の「意味」と、それ が生成される「過程」が展示されます。

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4:作家紹介
5:インタビュー音声
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企画:メディアピクニック